あちこち整理してたら昔の写真が出てきました。
それも20数年前のんです。
わたしは20代のころ当時の国鉄に勤めていて機関士をしていました。
お仕事中もコンパクトカメラを持ってたわけで、あちこち撮ったりしながら乗務してたんですわ。
オリンパスXAってコンパクトカメラ。
絞り優先AEで使えるちょっと凝ったカメラでした。
もちろん当時ですからデジカメじゃなくてフィルムカメラです。
86年2月23日、竜華区のEF5866号機のさよなら運転の日
紀伊由良駅で特急待避の合間に。
左は後機EF15のY機関士。
由良へ下る線路沿いは今まで見たことのないくらいカメラが並んでいて、客車は定員で満席、ずっと下り勾配でおまけに重連運転で、場内信号機の制限速度に落とすのにうわぁ~、、えらい重たいなぁ~なんて思って、
30km/hくらいまで速度を落としてブレーキ管を込め直ししてたのを思い出しました。
今の直通セルフラップブレーキの電車しか運転したことのない乗務員にはブレーキ管の込め直しなんて何のこっちゃわからへんでしょうけど。
ちょっと駅が戻って箕島~紀伊宮原間
これはkk0630さんとおっしゃる方が撮られたのをお借りしました。
今はJRの列車は前照灯を昼間も点灯してますけど、当時はそんな規程もなくファン受けするやろうとわたしが勝手に点けて走ってたんです。
別に点けてはいけないなんて規程はないもんで、消し忘れてるでぇと行き違う乗務員にパッシングされたもんです。
日が少しさかのぼって1月15日に運転された『さよなら66FOREVER』の機関士も紀勢線内はわたしが乗務しました。
湯浅~紀伊由良間で、今は湯浅~広川ビーチですかね。

もちろん職員にもマニアがいて有田川の橋りょうで撮ってるから速度を落としてとか言われて、落としてやったりしたこともありましたね。
とある日の66号機、新宮行き126列車で由良トンネルへ入るのに前照灯スイッチを入れるわたし。
ノッチは23ノッチ、25ノッチのシャントにすると16.7‰の上りでは、今では非力な部類ではある定格出力1900Kwでも、さすがに現車6両程度では速度が出過ぎて遅れを持ってるときでなければシャントまでノッチを上げなかったです。
当時は暖房用ボイラ(SGちゅうやつですね)を扱ったりする機関助士との2人乗務やったので助士に撮ってもらいました。
今ならどうでしょうか? お客さんも見てるし電車の運転士がこんなことしてたら苦情殺到ですよね。
まあ機関車の運転室はお客さんから見えないですからね。
ゆうても運転操縦を疎かにしてたとかじゃないですよ。
機関車乗務員の名誉のためにゆうときます。
機関車はいろんな機器が付いてるし、機関助士は座席を離れていろいろ作業をしたり、運転中とはいえ、あちこち動き回ることもあってずっと座席に座ってるわけじゃありません。
とはいえのんびりした時代やったんですね。
まあ58の晩年近くは12系客車になり、牽引機もEF60に代わり、客車の暖房はSGではなくて発電エンジンやったので機関助士も必要がなくなって一人乗務ではあったんですけどね。
関西線柘植駅で
まだこの頃の草津線の朝の京都行き通勤列車は113系電車に混じって50系の客車列車があって、それも10両編成を従えるのに、まだ夜も明けやらぬ早朝の柘植でSGの蒸気を噴き上げてた頃です。
今となっては客車10連なんてブルートレインでもないですからね。
しかしこのDD51、デザインはおおかた40年前にも関わらず、未だ古さを感じさせませんね。
本線用凸形機の洗練されたデザインに惹かれちゃいます。
もちろん当時はインダストリアルデザインなんて考慮されていなかったんでしょうけどね。
父親が勤めてた親戚の会社にも1次形のDD51の写真が掲げてあったような記憶があるけど、あやふやですわ。。
これは京都から帰ってきたときやと思います。 たぶん、、わたしは86年国鉄最後の年に退職したわけで、ついこのあいだのことやったと思っていても、もう20年以上経つわけやけど、まだ思い出のなかではセピア色にはなってませんね。 なんでやろ。





